「嫌われる勇気」を読んだ感想!自分を認めてあげて人生を豊かにしよう

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複数のWEBメディア運営をする事業主。SEO・コンテンツマーケティング・アフィリエイト広告・リスティング広告などWEBマーケティングが得意。また、編集者・トレーダーとしても活躍。
スガツヨ

こんにちは!
ノマドライフのスガツヨです。

本日は「嫌われる勇気」という本を読んで、学んだことアウトプットしていきます。

アドラー心理学は、「勇気の心理学」

本のサブタイトルにもなっているアドラー心理学を一言で言うと、「勇気の心理学」です。

結論から言うと、

スガツヨ

「変われないのではなく自分自身が「変わらない」と言う選択をしているから変わらない」

「いくら変わりたいと思っていたとしても、根っこの部分は「変わる」ための勇気がない」

ということについて、書かれていました。

人は変わらないほうが楽です。

だから多くの場合は、過去の価値観や思い込みから、変わらない選択をしてしまっている。

スガツヨ

「自分がもっと〇〇だったら××だったのに…」

などと言う、言い訳ばかり言っているようじゃ人生は変わらないのです。

じゃあどうしたらいいか?

それは「世界や自分への意味付けを今までと変える」ことです。

要するに、今の自分自身を受け入れ、前に踏み出す勇気をもつことが人生では大切になります。

それをアドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいます。

例えば、過去の思い込みや言い訳に対する考え方を変え、自分自身を受け入れてあげる。

そうすることで、変わる・幸せになる勇気を持つことができるのです。

全ての人生の悩みは「対人関係の悩み」がほとんど

スガツヨ

私たちの悩みの全ては対人関係の悩みと言われています。

どんな種類の悩みであれ、そこには必ず他者の存在があるのです。

例えば、

  • 収入
  • 身長
  • 年齢
  • 会社名
  • 子供の有無
  • 恋人の有無
  • 住んでいる場所

など、全ての事柄に対し、無意識に誰かと比較してしまったことはありませんか?

すると、「自分はあの人より劣っている」と劣等感を抱いてしまうことに繋がるのです。

ただ、私たちを苦しめる劣等生は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのです。

要するに、捉え方は自分自身で決められると言うこと。

スガツヨ

なので、あなたが身長が低くて悩んでいたとしても、

ある人から見たら、

「その身長だと人を威圧しないし、周りの人を癒せていいね」

こんな風に長所にもなる。

たとえ事実は変えることはできなくても、捉え方は変えることができる。

捉え方を変えることで、劣等感を感じて思い悩むことはなくなるのです。

自由とは、他者から嫌われることである

スガツヨ

「自由とは他者から嫌われること」

これこそが「嫌われる勇気」の核心です。

誰かに嫌われていると言うことは、あなたが自由に生きている証!

自分の方針に生きていることの印のことであり、生き様だ。

もちろん、人から嫌われることは苦しいし、できれば誰からも嫌われずに生きて生きたいですよね。

でも、全ての人から嫌われないように生きる生き方は、不自由だし不可能…。

だからこそ伝えたいのが、「嫌われることを恐るな」と言うこと。

そして、そのために大切なのが「課題の分離」です。

この課題の分離は、人の問題と自分の問題を分けるということ。

あなたは自分の信じる最善の道を選んでいい。

その選択をしたことで他者がどう思うのか、どう評価するのか、嫌いになろうが嫌味を言ってこようがそれは他者の課題であって、あなたの課題ではありません。

スガツヨ

他者の課題には介入せず、自分の課題にも誰1人として介入させない。

これが、対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、

アドラー心理学ならではの画期的な視点なのです!

特に日本人は、

  • 親に言われたからこの学校に入った
  • 周りから評判がいいから会社に入った
  • 他の人を見てつい嫉妬してしまう
  • テレビや広告につい影響されてしまう

など、自分の人生なのに誰かの期待に答えようと一生懸命生きてきた人は、かなり多いと思います。

特に日本人はそう……。

でも、

スガツヨ

あなたは誰かの期待を満たすために生きているのではないし、

誰かの人生もあなたの期待を満たすためのものではありません。

自分がどう生きたいのか、どうしたいのか、自分自身で選んでいいのです。

実際、僕は新卒1年目で会社員から独立を決めましたが、両親はそんな僕を心配して、そのまま会社勤めすることを望んでいたと思います。

しかし、そこで両親を悲しませたくないから、安心させたいからと自分のやりたい道を諦めることは、両親に嫌われたくないから両親の期待を満たすために生きる人生になってしまうのです。

本の中で「嫌われることを恐るな」とありましたが、確かに両親の期待する生き方から外れることは、不安もありました。

それでも、両親にとっての幸せは、「僕がやりたいことや目標に向かって毎日楽しく幸せに生きること」だと思ったのです。

スガツヨ

人生は誰かに与えられるものではなく、自ら選択するもの。

自分がどんな人生を生きたいのか、僕自身もたくさん考え、行動してきました。

その結果、今ではたくさんの方に支えられ、応援してもらえるようになりました。

今、ここに強烈なスポットライトを当てよ!

本の後半で印象的だった言葉があります。

スガツヨ

「われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです」

その部分について「人生は線ではなく点。連続する刹那」と表現していました。

つまり、過去にどんなことがあったかは自分の「いま、ここ」にはなんの関係もないし、

未来がどうであるかもまた「いま、ここ」で考える問題ではないとのことです。

遠い未来に目標を設定して、いまはその準備期間だと考え、「本当はこれがしたいけど、やるべき時がきたらやろう」と言うのは人生を先延ばしにする生き方。

それは、「いま、ここ」をただの準備期間や我慢の時期だと思っていると言うことです。

でもそうではくて、本当は毎日が本番で人生は常に完結しています。

人生とは、ゴールを目指した線ではなく、点を繋いだ刹那の連続だから。

だからこそ、「いま、ここ」に最大のスポットライトを当てて、この刹那を真剣に生きることが大切なのです。

人生の意味とは?

最後に、人生とは何か?

人はなんのために生きるのか?

と言う問いに関して、アドラーはこんな答えを出していました。

スガツヨ

「一般的な人生の意味はない」

「人生の意味は、自分自身に与えるものだ」

人生一般に意味はない。

それでも、自分の人生に意味を与えることができることができるのは自分自身なのです。

そこで他者から嫌われることを恐れず、自分だけの道を生きる時の大きの指針となるのが「導きの星」。

「導きの星」

とは他者貢献のことです。

「他者に貢献するのだ」と言う導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、何をしてもいい。

そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に生きることで、自分の人生の意味が見つかるのです。

「嫌われる勇気」を読んで思ったこと

印象的に感じた部分をピックアップしましたが、この本での学びのタネのほんの一部分しかお伝えできていません。

それでもこの文章を読んで、自分の生き方を見つめ直すきっかけになったり、

人からの評価を気にしすぎず、少しでも幸せになる勇気を持てるよう考えてもらえたら嬉しいです。

スガツヨ

僕自身も、ありのままの自分を受け入れ、人生の中の「いま、ここ」を真剣に生きて生きたいと思います♪

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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