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リー・クワンユウ
リー・クアンユーは、シンガポールの政治家、初代首相。首相退任後、上級相、内閣顧問を歴任した。 初代首相就任以降、長期にわたり権威主義的政治体制、いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権下ながらシンガポールの経済的繁栄を実現した。
イギリスの植民地だったその後に日本が入り、そのまた後にイギリスになり、やがてはマレーシア連邦から独立しています。
リー・シェンロン首相をフェイスブックでフォローしている。結構な頻度でアップデートされる彼のページ。
それに対する国民のコメントをよく眺めているけど、リー・シェンロン首相はすごい人格者だし、彼に対する国民の支持は厚い。
具体的な政治や経済のの難しいは正直分からない。だけど彼のフェイスブックでの様子をみていて、シンガポールの未来が暗いなんて考えにくい。
ほころびなんてどこにあるのか。ただでさえ今まで感情に流されず常に先を見据えて繁栄してきたシンガポール。今更この国が衰退するなんてことは有り得ないと思う。
ここ1年のシンガポールの様子
国民の資産形成を進め英語教育でグローバル人材化
独立当初は、天然資源どころか水すらも十分にない島国を預かり、リー・クアンユーは不眠症で倒れ込むこともあったという。しかし、その後、「他の国が必要とする国になる」「我々にあるのは戦略的な立地条件と、それを活かすことのできる国民だけだ」というモノの見方に至り、次々と施策を具現化していく。
1950~60年代は、国民の貯蓄促進と住宅開発に注力する。リー・クアンユーは、他の国が必要とする国になるためには、まず国民一人ひとりが自立し、社会的責任を担える健全な精神を養うことが重要だと考えた。そのためには安定した生活基盤が必要であり、給与から一定割合を国が天引きし、強制的に貯蓄させる制度を導入した。
リー・クアンユーは、こうした形で強制的な施策を実行に移すことから、国民からの人気は必ずしも高くない。しかし、それによって、国民の資産は自然に形成されていくこととなった。また、国が良質な住宅を大量に供給し、多くの国民が貯まったお金を頭金にマイホームを持てるようにした。そして、子供の世代に依存しなくても生活していける社会環境を実現したのだ。
70~80年代に入ると、今度は教育政策に注力するようになる。まずは「正しい中国語を話そうキャンペーン」を、次いで「正しい英語を話そうキャンペーン」を立て続けに打っていった。
シンガポールの戦略的立地条件を活かそうとすれば、グローバルに事業展開する企業のアジア拠点を誘致することが最も効果が高い。そのために、最初は華僑系の企業を、次には欧米の企業をターゲットとし、国民のエンプロイヤビリティを高めようとしたのだ。
リー・クアンユーの常識外の発想がシンガポールの繁栄を築いた
多くの企業を誘致し、経済が活性化すると、今度は交通渋滞に悩ませられるようになる。そこで、シンガポールは60年代に大量輸送計画を立案し、道路交通網を整備するとともに、都心部にはエリア・ライセンシング・スキームを導入し、ライセンスを購入した車しか入れないようにした。このため、車を所有するためのコストは跳ね上がったが、渋滞のない都市を実現することに成功した。
こうした政策のおかげで、シンガポールのチャンギ空港に着いてから都心部のオフィスまで約30分という状態が実現している。また、英語を話せる人材を簡単に採用できる。これが、多くのグローバル企業がシンガポールにアジア本社を置く理由になっている。
また、90年代に入ると、60年代に建てた住宅が老朽化してきたことから、包括的地域再開発プランを導入し、リノベーションを促進している。日本では住民の利害が一致せず、地域再生がなかなか進まないことが多い。しかし、シンガポールは評判こそ良くないが、強制的な政策によって推進していくため、結果的に国民の生活水準と資産価値の維持向上につながっていった。
そして、これと並行して地域づくり委員会を設置し、住民の自治による地域運営を進めていく。悪名高いチューイングガム禁止令が導入されたのもこの頃だ。
さらに、2000年代に入ると、セントーサやマリーナ・サンズに代表されるような総合リゾート開発に乗り出す。これは、経済力をつけたアジアの観光客や富裕層をシンガポールに呼び込むとともに、グローバル企業のビジネスマンからも選ばれる地にしようという意図がある。いまや街にも楽しさがなければ、企業から選ばれない時代になってきている。
「他の国が必要とする国」となるため信用される国民・国家を作った
リー・クアンユーが国民の資産形成や生活水準向上、教育や自治の問題に注力したのは、先にも述べたように、社会的責任を担える国民をつくることが、「他の国が必要とする国になる」ための必要条件と考えたからだ。
リー・クアンユーは、経済やビジネスにとって「信用」が最も重要なものであることを知っていた。他の国から必要とされる国になるためには、信用されるに足る国民がいなければならない。それは下記の発言からも伝わってくる。
「周辺国の制度がクリーンでなかったので、わが国は制度をクリーンにした。周辺国の法治制度は不安定だったが、わが国の法治制度はゆるぎなかった。一旦わが国で合意や意思決定がなされたら、必ずそれを守る体制をつくったのだ。おかげで、わが国は投資家にとって信用できる投資先になった。」
いまやビジネス界は、事業機会や人材を世界中から調達できる時代になった。信用できる自立した国民・国家をつくることで、資源のない国でも技術や資金、情報を惹きつけ、競争力をつけることが可能になったのだ。
その一方で、外資系企業に門戸を開こうとすると、保護主義の動きが出てくるのも世の常である。ところが、リー・クアンユーは国民を目先の保護主義には走らせず、つねに世界規模の人材交流の中に飛び込み、競争力をつけるよう促した。
「わが国は国粋主義になろうとする傾向に抵抗する必要がある。考え方も行動も国際的にならなければいけないのだ。外国に行かせたり、外国人と交流させたりして、世界レベルに追いつくように、わが国の人材を育てる必要がある。」
まとめ
「私が学んだことは何か。それは人間や人間社会のもつ両面性だ。向上する可能性もある反面、後退や崩壊の怖れが常につきまとう。文明社会がいかに脆弱か、私は知っている。」
リー・クアンユーはこうした人間観に基づき、必要と考えれば不人気な政策を打つことをいとわない。「志を持てば人気取りは必要ない」とまで言い切っている。その一方で、決して無理はしない。一足飛びに理念を実現しようとするのではなく、時間をかけて環境づくりをしていくことを怠らない。
「要は急がば回れだ。過去につちかってきた習慣や既得権を捨てたがる人はいない。ただ、一国として存続するには、ある種の特色、共通の国民性をもつ必要がある。圧力をかけると問題にぶつかる。だが、優しく、少しずつ働きかければ、同化はせずとも、やがて融合するのがものの道理だ。」
人間の内面をよく理解しているがゆえに、成果を焦らず、多くの人がついていけるスピードで変革を実行していくのだ。派手さはないが、後から振り返ってみると、着実に成果をあげてきたことがわかる。リー・クアンユーの首相退任時の次の言葉に、彼の思いがこめられているといえるだろう。
「言えることはシンガポールを立派な国にしようとベストを尽くしたということだけだ。人々がそれをどう評価するかは自由だ」
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