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【人生観と哲学】北野たけしが語る 深い話

生きる意味ってあるの?

ビートたけしは、日本のお笑いタレント、俳優、映画監督である。本名:北野 武。東京都足立区島根出身。オフィス北野所属。 タモリ、明石家さんまと共に、日本のお笑いBIG3の一角を担う。日本国外では本名北野 武で、映画監督として知られる。

ビートたけし – Wikipedia

死ぬってことは人間みんなの目的であるっていうか、終着点であることには間違いない。死というのは突如来る暴力なんだね。その暴力にいかに準備しているか。それが必要だってことは、うすうすはわかるんだけれど、あまりにも儚いっていうか、空しい努力のような気がしてしまう。なにしろ死ぬことに対する対応だからね。

死はすべての終わり。それに対して何で準備してなきゃいけないのか。対応しようがしまいが、死ぬことは死ぬことで仕方ない。そう考えりゃ、準備なんかしなくたっていいじゃないか、と言う奴もいる。だけど、準備なんかしなくたっていいと言ってても、結局死というものには無理矢理対応させられるわけだよ。あまりにも一方的に向こうが勝手に来るわけだから。

それに準備してる奴としない奴と、死ぬことは結果的には同じだけれども、そのショックというのは半端じゃないんだよ。死を考える、死ぬための心の準備をするというのは、生きているということに対する反対の意義なんだけども、異常に重いテーマ。

死と生

頭のいいのからバカから、金持ちから貧乏人から、人間全部に対しての問題提起なんだ。そうすると、バカでもなんでも対応せざるを得ない。そうしたとき、それの能力とか財産にもかかわらず、人間は対応する努力をしていかなきゃならない、と思ったんだ。

人生って、生まれながらにして死ぬ時のその対応の仕方をいかにして模索していくかが人生のような気がする。息抜きに色んなことをしてるだけであって、基本ラインは死ぬことに向って一直線に突っ走ってて、それに人間はどう対応するんだろうかってだけのような気もする。だからおいらにとって、今度の事故というのは凄いショックだったね。物理的なショックのみならず、精神的ショックがマグニチュード8という感じだった。

今回のおいらの場合奇跡がいくつも重なっている。死ななかった上に、脳も損傷をまぬがれたんだからね。あのまま死んでると何の問題もなかったかもしれない。

ところが生きたってことに対しては、今考えれば良かったなと思うけれど、良かったと思う感覚の数十倍重いテーマを被せられちゃったんだね。

だから、生き残ったことが凄い良かったのか悪かったのか分からないけども、これが生きてて良かったって確認できることは、死というテーマに対して自分がどれだけ対応できるかにかかっているよね。それが確認できなかったら、死んでた方が良かったっていうことになる可能性もある。

まとめ

確かにスポーツや事業などに熱中できれば、「これが私の生きる意味だ」と充実感は味わえます。それはただし、死の影を忘れていられる間だけのことです。

「あなたはやがて死ぬんだよ」というささやきが聞こえてくると、好きなことをして、望んだものを手中に収めても、喜びにはなりません。

「いま、なすべきことは何か」100パーセント確実な未来を直視したとき、人生最大の問題と対峙させられるのです。

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