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死ぬ覚悟がある人は付け入る隙がない

 

武士道とは、死ぬことと見つけたり

  1. 「命か忠義かを選べと問われたなら、自分の命など微塵も惜しくはない」
  2. 仕える主人が厳格過ぎては、家臣の信頼は得られない。だが、主人が信用しすぎると、家臣は手に負えなくなるものだ」
  3. ひとつごとに悟りを開ければ、どんなことにも精通し多くのことを理解できる」
  4. 「武士の心得として最も重要なものは何か?自分の成し遂げたいもののために、一分一秒、魂を賭してそれに向き合うこと」

柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみむねのり)の武士道

柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)は、江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀 …. その後、将軍に就任した家光からの信任を深めて加増を受け、寛永6年(1629年)3月に従五位下に叙位、但馬守に任官する。

柳生宗矩 – Wikipedia

柳生但馬守は偉大な剣道家で、時の将軍徳川家光の指南番であった。一日旗本の一人が但馬守の所にやって来て、剣道の指南を頼んだ。師がいった。

「お見受けするところ、貴殿はすでに剣道の師のようであるが、我等師弟の契を結ぶ前は何流で御座ったか話されい。」その旗本は答えた。

「お恥しき儀なれど剣道を習いしことは御座いませぬ。」「拙者をお戯れになるつもりか。拙者は将軍御指南役で御座るぞ。この眼に狂いは御座らぬ。」「御意に逆らいて恐れ入りますが拙者は何も知り申しませぬ。」客の否定があまりきっぱりしているので、師は少し考えていたがついにいった。

「貴殿がそういわれる以上、左様に違い御座るまい。しかし何とは判然(はっきり)申し難いが、何かの師匠であったに違い御座らぬ。」「たってといわるるならば申し上げましょう。実は完全に習得したと申しえらるる一事が御座います。

其(それがし)未だ年少の頃、武士としていかなる場合にも死を恐るべきにあらずとの念を発し、爾来数年、死の問題と組打ちいたし、ようやくにしてそのことを全く煩うに及ばなくなりました。御師匠はこのことでも指されるので御座いましょうか。」「確かに」と但馬守は叫んだ。

「その通りで御座る。拙者の判断に間違いはなかった。剣道の極意は死を恐れざることで御座る。某は当流において幾百の門弟を指南しておりますが、一人として誠それはどに免許皆伝に及んだものは御座らぬ。貴殿は技を学ぶには及ばぬ。立派に師範で御座る。」剣道が習得される道場は昔から、悟りの場所という名前を持っているのである。

武士たる者の活きるための剣=「道

剣の為に世界と戦った男。あらゆる剣士、あらゆる柳生一族に比して、特異極まりない存在。れこそが柳生但馬守宗矩という人物なのです。

なお、ここからはまた当方の主観的推測なのですが、石舟斎が、新陰流が剣術以外のものになるのを恐れて敢えて宗矩に正統を継がせなかったのでは、というのは既に書いた通りです。

ですが、逆に言えば、石舟斎は、宗矩が、新陰流を剣術以外のもの、もっと言ってしまえば、剣術以上のものに変えようとしていたのを知っていた、あるいは、その変化をこそ目指そうとしていた石舟斎が、その高齢故に、宗矩にそれを託した、という考え方もできるんじゃないかと思います。

そして、これは推測に更に推測を重ねるような話ですが、案外、石舟斎が利厳に新陰流正統を継がせたのは、「だってそっち継がせなかったら、利厳何すんの?」というあくまで剣士以外にはなり得ない利厳の限界を見た上で、それでも可愛い孫に何かを遺してやりたい、という祖父の愛なのでは、と思います。

禅に繋がる精神性があり、統治にも活用できる、武士たる者の修めるべき平法である

それまでの新陰流における「活人剣」、即ち、上泉秀綱、及び、石舟斎の言うところの「活人剣」は、

  1. 相手を動かしてそこを打つ、という「技法」
  2. 人を殺さない剣、という「思想」

という二つの意味をもっていたわけですが、宗矩は、これを文字通りの「活人剣」=「人を活かす剣」に変えることで、第三の意味をつけた。

 

まとめ

宗矩と他の武芸者との価値観のズレは、宗矩の兵法家伝書において、武芸書によくある「我、生涯において○○回仕合い、その全てに勝利を収め…」という話が、まったく出てこないことからも見えてくるのでは。

逆に言えば、宗矩以外の目から見れば、宗矩のやっていることは剣術と無関係であり、にも関わらず、剣士として最高の地位にいる、と見えるからこそ、物語において宗矩が陰謀家、または悪役扱いされるのでしょう。

てなとこで、最後は少し蛇足だったかもしれませんが、柳生但馬守宗矩という人物の特異性についての話は概ねこんなところであります。

自分で書いておいて言うのもなんですが、なんかエラい結論が出たです喃。去年の頭、NHKの「その歴」で宗矩が取り上げられた時の結論が、「宗矩がいたから徳川三百年は成立したんだよ!」になってたのに匹敵するくらいの勢いですね。まさに宗矩ハイパー化。

 

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